どこから読んでも泣ける本

のんびり日記

35.56

「泣ける本」というと、誰でも心に残っている本が1冊や2冊はあるものですが「どのページを読んでも涙がでてくる本」というのは、なかなか思いつかないのではないでしょうか?

私も特別「本で泣きたい派」ではないので、泣ける系のストックはないのですが、昨日、ボロボロと泣いてしまいました。『赤毛のアン』で。

小学5年生になる娘が(こう言ってはなんですが)「ラノベ予備軍のような文庫本」ばかり読んでいるくせに「本が好き」とか「将来は本に関わる仕事がしたい」などと言うものですから、

「読書家を名乗るからには、その歳々で読んでおかなきゃいけない本があるのだ、 10歳女子なら『若草物語』と『赤毛のアン』は必読だ!!」

と私自ら図書館で借りてきて読ませまして、とうぜん不朽の名作ですから娘も気に入って読み終えました。 そこで「懐かしいなぁ」と『赤毛のアン』のページをめくってしまったんですね。 そうしたら涙が止まりません。

1、描写の美しさ

プリンスエドワード島、グリン・ゲイブルスの美しい光景が一瞬で蘇ってきました。もちろんその光景は「子どもの頃に読んだ・子どもの時に想像した景色」なわけで、それが懐かしくて、懐かしくて泣けてきました。 「とにかく、やみくもに、ただひたすら、この風景に憧れた」っていう感覚が一気にわき上がってきたのです。

2、マニラとのやりとり

子どもの頃読んだときには、マニラは「最初はあまりアンのことを気に入ってない」と思ってたんです。「やさしいマシュウ」と比べて「厳しいマニラ」って思っていました。でも今見ると、パラパラめくっただけなのに、マニラがはじめからアンに対して深い愛情を持って接していることが分かるんです。ただどうしていいか分からないだけで。二人で道を歩いている場面、

マニラは、アンの細い小さい手が、自分の手にふれたとき、何か身うちのあたたまるような、気持ちのいいものが、胸にわきあがりました。その心をとろかすような甘さに、マニラの気分はかきみだされてしまいました。

確かにこのマニラの気持ちは子どもでは分からないだろうな、と思います。大人になって、母親になって、もう一度この文章を読めて良かった。

3、今、読めたことに対して感謝

実は『赤毛のアン』に出会うのは3度目なんです。

1度目は小中学生の頃、シリーズ全部読みました。

2回目は20代の頃なんですが……、 私は、人に自慢できるようなこともない、へなちょこダメ人間なので、年齢的に成人になった後も「自分が大人になった」と実感したことはありませんでした(?!)

そんなとき『赤毛のアン』を読んで、すぐに自分の空想の世界に入っていけるアンの純粋さに触れて、 「あ、私、もう子どもじゃない」 って気づきました。

子どもの頃はアンと同じように【木のウロが怖い人の顔に見えて、そんな自分の勝手な空想で「もうその付近に近づけない」と自分の実生活に支障をきたしたりするような】そういうことがたくさんあったはずなのに、いつのまにかなくなっていて……、なくなったことすら気づいていなかった。

大人になった覚えもないけれど、もう決して子どもではない、と思い知らされて少し寂しい気分になりました。

そして今回3日目に読んで、いつ読んでもその時々で、いろいろ考えさせらりたり、共感できる本って素晴らしいな、と。 いい本って、物語の中身も感動しますが、その本と自分が出会えたことにも感動します、よね。

そんなこんなで本をめくりはじめたとたん、だーだー泣き出して、

子どもたちが 「おかあさん、どうしたの!!」 とびっくりしていました。

りんごの花↓

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