どうなんですかね?
今の子どもの能力に問題がある、みたいな言い方はどうなのかなあ、と思いました。
長い文章を読めないそうですが、それは大人も同じこと。
私が子どものころの思い出をひとつ。
赤川次郎とか「ねらわれた学園」とか読みだし、書店で一般文芸の棚ものぞくようになった頃なので、小学校高学年か中学に入ったあたりかと思うのですが、書店にいる時、私の背後でふたりのおじさんが話し始めたのです。
ひとりがもう片方に新刊らしきものを広げてみせながら
「(最近の本は)こうやってね、かぎかっこで短い言葉をつづけてね、枚数を稼ぎよるんですわ。だからページの下半分が真っ白でしょ?」
というようなことを言うてるんです。
かぎかっこの言葉(セリフ)が続くと、短い文字数で改行するので、中身が薄いまま分厚い本になり、原稿用紙の枚数で原稿料が決まっている作家は、原稿用紙を文字で埋めるより楽して稼いでいる。
というようなことを苦々しげに話していました。
なんか衝撃でしたね。
・本を『作っている人がいる製品』として見る視点を、はじめて得たこと。
・本屋で本の悪口を言っている人にはじめて会ったこと。
もうかれこれ半世紀近く経とうというのに、鮮明に覚えてるんですよね。思い出の一コマです。
そのときは比較するほど昔の本も最近の本も知らなかったので、「そういう見方もあるのか」と思いつつ、理解はしていなかったのですが、あとあと夏目漱石や森鴎外などの本を見るようになって、たしかに昔のほうが改行が少ないなあと思いました。
そう、だからね、明治時代の読書家からしたら、私たちだって「読解力が落ちてる」と思うのです。明治といわず昭和でも。
今、すぐに出せる「できるだけ古い本」

ゲーテ「若きウェルテルの悩み」。ウェルテルは書簡という性質上2行くらい空いている部分が多いのですが、左のページ、改行1回しかない。

ヘッセ「春の嵐(ゲルトルート)」。こちら左のページ、改行ゼロ。
昨今、1ページ内に改行ゼロ、ってのはなかなかないですよね。
読書家さんの中には「これくらい軽く読めるよ」という方もいるでしょうが、それが「売れにくい」と言われて否定はしないでしょう?
大人も30,40年前と比べて読解力落ちてるんじゃないですかね。
もちろん改行だけで語るのも暴論ですが、少なくとも1ページあたりの平均文字数は減ってるでしょう。
でも明治時代の人に「読める文字量が減ってる」とか言われると、なんか嫌な感じしません?
「その分パソコン使えるもん! あんたらスマホとか知らんやろー」
とか言いたくなります。
社会の進化に適応してるねん!と。
子どもの頃ね、「えんぴつ削り器が出現したせいで、最近の子は小刀で鉛筆をけずれなくなってる。不器用だ」と言われ、えんぴつ削る用の小さいカッターナイフを買わされ、授業でえんぴつをけずる練習をしたんですよ。
それ自体は面白かったですけど、でももう二度と人類は小刀でえんぴつを削る社会に戻ることはないわけで、道具が増えたせいで不器用になるなら、それは社会の変化なわけで、学校でえんぴつを削らせるのって、大人の自己満足では? と思ったり思わなかったり。
だからね、自分たちの常識に当てはまらないことをすぐ「問題だ」っていうのはどうかなあ、と思うわけです。
ショート動画で脳がすり切れて人類みんなドパガキとなり、いずれ映画「マトリックス」のような未来がおとずれるとしても、世代間で否定しあっても仕方がないし、「滅亡するそのときまで、しっかり生きていきましょう」って漫画版ナウシカのような境地に至りました。

今週はほとんど家にいて、特に書くことがなかったので、日ごろ考えていることを書いてみました。
アイキャッチの写真は大倉山です。
はじめて登ってみました。標高は41メートルだそうです。
来週は着物のお稽古をはじめ、外出が続くのでもうちょっと華やかな感じになるかな?

この子たち、新潮文庫220円でした。
昔って、文庫220円だったのーーーーーー!!
